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人はどこまで助けられるか

もう何年も前、

 

助けてもらいたい

 

という気持ちがありました。

 

 

ここ数年は、逆に

 

どうすれば手助けできるか

 

を考えるようになりました。

 

 

人の幸せは、

 物質的な幸せ

 精神的な幸せ

 魂の幸せ

の3つがあると聞いたことがあります。

 

このうち、

他人が助けられるのは、

まず

1つ目の物質的な幸せでしょう。

 

 

2つ目の精神的な幸せは、

究極的には、

本人次第ではないでしょうか。

 

いくら支える人がいても、

本人が前向きに考えられなければ

幸せになれないからです。

 

いくら正しい知識を得る機会があっても、

本人が受け入れられなければ

何も変わりません。

 

仲間やパートナーがいて、

ともに精神的な幸せを感じる一瞬があると思いますが、

突き詰めて考えますと、

状況をハッピーに解釈する力、

つまり本人に寄るところが大きいと思います。

 

 

3つ目の魂の幸せ、

つまり今生での魂の成長は、

自分自身の『行動でだけ』で

得られると思います。

 

人の行動を見ていても、

それはその人だけの

経験・学びであって、

見たり同情したりしている

自分自身は何も成長していません。

(参考にはなります)

 

行動して、

自分で種を蒔いて、

それを刈り取ることで

魂は成長するのだと思います。

 

こう考えますと、

他人がその人にできることは

それほど多くない気がします。

 

それでも生きて経験するためには、

物質的に身体を維持しなければなりません。

 

生き残る、

健康に生きることができて、

はじめて自分の意思で人生を歩むことがでます。

 

物質的な援助は、

限定的ですが重要で意味があることだと思います。

 

 

では人を助けるときの順番は、

自分が先か相手が先か、どうでしょうか?

 

自分を犠牲にして

人を助けるのは美談です。

 

助けた人自身の魂の成長に

つながっているとも思います。

 

ただ、それだと

長期的に人を助けることはできないと思うんです。

 

やはり自分が先で、

自分のできる最大限手助けするという形に

おちつくのではないでしょうか。

 

その昔、

ブッダはこの世の苦しみから

沢山の人々を救いました。

(正確には、救う手助けをしました。

本人がその教えを受け入れて

自分で自分を救ったのです)

 

これは

自分がまず悟りに達して、

その後だからできたことです。

 

これが悟る前に助けようとしていたとしたら、

それはただの親切なオッサンです。

 

あれだけ多くの人に

影響を与えられなかったでしょう。

 

 

自分自身を成長させて、

できる範囲を大きくして、

いくらかでも手助けできれば良いなと思います。