レイキを続けていると
必要な気付きと癒しが起きて来ます。
ぼくに起きて来た
気付きを書いてみます。
意識には3つほど相があると
気が付いてきました。
(それ以上あるかは
今のところはわかりません)
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ひとつ目は
「自分」がいて「他人」がいて
「世界がある」
「時間が存在している」
と認識している。
普段起きているときに
思考があたりまえに
思っている認識の相。
幸せと不幸があり
受容と拒絶があり
調和と混乱がある認識。
ひとりひとりが別々に生きる
思考とストーリーの相です。
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ふたつ目は
自分と他人と世界が
「分かれていなくて」
「未来も過去もいっしょくた」
と認識している。
慈しみと安心と調和
だけの相です。
「存在」の大元とも言えます。
レイキの源の相で
この相に意識があるときは
完全な安らぎ、温かさ、安心そのものです。
ジャッジがなく
許しといつくしみだけの世界。
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みっつ目は
存在も認識も自分も
「すべてが、なにもかもが
時間も、存在しなかった」
その何もないところから
ただすべてが
「今にだけ
起きてきている」
と認識している。
見えているものすべてが
自分の思考も出来事も
何の意味もなく
ただ起き続けている
自分も、時間も、ストーリーも
ない相です。
ただし、みっつ目は
少し特殊な感覚です。
何もない、を認識する誰かは
存在ませんから
一瞬チラッと見えるだけ。
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もともとが
何もないことを知ったとて
なんの幸せにもつながりません
でしたが(笑)
ただ、しあわせも不幸も
まぼろしで、
それを感じる感情も自分さえも
起きてきたもの。
個人的なものなんて何もなかった、と
知ると
思考が外側のストーリーに埋没する
のは、もうなくなったように思います。
また、
ひとつ目の相で認識している世界
とは
相互に作用しあっている感覚があります。
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自分がいると認識している
ひとつ目の相からすると
この世界って
本当に不思議です。
ふたつ目の思考を離れた相からすると
あたりまえの感覚で
その真逆なところが面白いです。
ふたつ目の相は
あたたかく、いつくしみだけで
とても快適に過ごせます。
多くの人が
ふたつ目の相に入るお手伝いを
できたらいいなと思っています。
以上は寿の場合の気付きと癒しでした。
レイキを続けていると
ひとりひとりに異なる気付きと癒しが起こります。
そしてそれは
つづいていきます。