今日はGRNニューズレターへの
寄稿文コピペになります
日々のレイキワークの恩恵があると
実感するのは、
一番は
『重たい思考が起きて来にくくなる』
ことかなと感じます。
ぼくがレイキを習った最初の頃は、
レイキとの響き合いというのは
『自分と、偉大な何かべつのもの』
という認識でした。
レイキを意図的に使っている間だけ
レイキを感じることができて、
思考がわちゃわちゃしている間は
レイキを感じられない、
という感じでした。
平穏や安心がいいことで、
いさかいや恐れは悪いこと
だという考えでもありました。
それからレイキとともに
数年が経って、
徐々に感覚やレイキに対する認識も
移り変わって来ました。
これはぼくの場合ですが、
レイキの源(=大いなる源とか
愛とか大生命とか呼んでいるもの)
は、
『自分とは別の何か』
という感覚から、
『そもそもが自分の本体であり
自分とは別のものでも何でもない』
、いつでもどこでも自分も
含まれている、
いや待てよ、
そもそも自分という認識自体が
ウソっぽい
という感覚に変わってきました。
もちろん視覚的には
自分の体はあるので、
ただ感覚が変わってきた感じです。
出来事を優しく見ている感覚が
増すにしたがって、
思考は減っていきます。
いさかいや恐れや不幸が
『悪いこと』
という思い込み(=つまり思考)
も次第に消えて行きました。
『思考』と
『深いところの感覚』は
同居できないので、
『不安や怒り』と、
『本質的な安心とあたかかさ』も
同居できないんですよね。
言葉を理解することは
簡単なことだけれど、
実際に『安心とあたたかさ』で
いられるかって、
シンプルなんだけど
とっても難しい気がします。
以上が今のところまでの
寿に起きた感覚の変化でした。
人それぞれにレイキの恩恵は
違うと思いますが、
皆それぞれに起きてくる、
それぞれの体験を応援しています。