現代は親や社会の価値観に
従わなければダメだ、的な暗黙の押しつけ?
を感じる場面があります。
世間一般でよく耳にする
親の価値観の押しつけでは、
志望校の選択などありますよね。
普段の生活や会社でも
「〇〇はすべきでない」
「☓☓が絶対に良いと思う」
etc・・・
よく耳にします。
あたかも、
その人個人の価値観が正しかったり、
全員が全員の価値観であるように、
お話されます。
自分自身が選択し、
その結果を請負う重要な場面でも、
お構いなしです。
自分の価値観を発信している人は、
それに気付いているのかいないのか、、、
聞く方は聞く方で、
他人の価値観に合わせて
行動してしまうことが多々あります。
僕も、
相手が自分のことを思って
言ってくれているのだからと
それに従ったこともあります。
相手に嫌われない為に、
聞き入れたこともあります。
今思いますと、
それが自分自身にとって
本当に正しい選択だったとは
思えません。
結局、その結果どうなっても
相手は責任を取ることはありませんし、
最終的に自分自身が
すべてを請け負うのですから。
普段の生活で、
周りの人達にどう思われるか、
を気にして行動していませんか?
責めているわけではないのです。
相手や、周りの人がどう思うかを考えて
行動できる人は、
それだけ気配りが出来る素晴らしい人です。
優しい人です。
一方で、軽々しく
こうすべきだ、とか
これが正しい、とか言う人は、
物事の1側面だけを見ている
事が多いです。
単純に、
自分の「好み」を「正しい」と
言い換えているだけではないでしょうか。
物事について
あれこれ評価したり
順位付けしたり
している分には実害は無いかもしれません。
しかしたいてい、
そういう人に境界線はなく、
他人の選択にまで口を出す人が多いのです。
その結果を
結局だれが請け負うのか、
だれが責任を負うのか、
を考えれば
ぼくは軽々しく当人に向かって
意見することは出来なくなってきました。
反対に
人の意見も鵜呑みにすることも
出来なくなってきました。
そのように考え始めると
何も言えなくなってしまいそうですね。
今は適切な姿勢、つまり
「自分の意見」から脱却して
「相手を尊重したアドバイス」に徹すれば
良いように思います。
具体的には
『視野を広げる手助け』
を心がけています。
例えば
他の選択肢の提案や、
その後どうなりそうか、
過去事例などを伝えて、
決して決めつけない。
選択は、本人の完全な自由だと
意識できるかどうかが大切です。
人によって、
意見の受け止め方は様々です。
学生時代から、
親や社会の意向に沿って
生きてきた人にとって、
他人の意見は
過大に影響を与えてしまいます。
一方で、
自分勝手に生きてきた人なら、
他人の意見なんて、ただの雑音で
気にもとめません。
このように、とても幅がありますが、
誰もが自分で意思決定することが出来る、
(誰も不幸にしないことが前提ですが)
成熟した社会に向かって、
徐々にではありますが、
向かいつつあると感じます。